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かえるの庭 渡米編

恋人の海外赴任をきっかけに結婚してアメリカに行く、かえる好きな人の話

フツウのオトナってなんだろうという話。


かえるの庭のaoiです。

一回目の更新からこんなに月日が…あわわ。
しかも今日の記事は渡米なんかと関係ないという。



「日本の学校は、サラリーマン養成所」

乙武さんの言う、「あきらかにサラリーマンには向いていないだろう子ども」たちの受け皿となる組織や空間、そして社会的肯定感が少ないという実態。


寺子屋式から一斉学習型に切替えた日本の近代教育が、右肩上がりの経済成長期、「大量生産・大量消費・大量破棄」時代のニーズを満たす人材を供給するべく、その役割をきちんと果たした結果とも言える。

世間が「持たない暮らし」「丁寧な暮らし」に憧れ、ミニマル・多様性・シンプルにシフトしつつある今、教育はどう変わるべきなんだろうか。
一人ひとり学ぶ教材も進度も違う寺子屋時代カムバックするなら、どう現代に寄り添えばいいんだろう。


自分にも、中高の義務教育で学力と引き換えに失われたと思う感性や感覚がある。
「あの時失った」と気付いたのは、私の場合24歳になってやっとだった。
それを回復するのは、中々簡単にはいかなかった。


日本人はみんなで作り上げた「フツウ」という名の理想、というか妄想を一生懸命に追いかけてる。
「これってフツウだよね、フツウだよね」と周りと確認しあいながら、足並みをそろえてライフステージを進めていく。
そこから落ちたら再起不能という漠然とした不安だけを、頭の隅で共有しながら。

実際蓋をあけてみれば、家庭に事情を抱えてたり、心身に障害や病を抱えてたり、見えない苦労をしている人のほうがマジョリティだ。
人類の総幸福量を増やすには、そういう人たちに優しい国にならんとなぁと思う。
限られた強い人は勝手に幸福になっていくから、放っておけばいい。


話は少しそれるけど、大学に入ってからいろんなヤバい人、良い意味で頭のおかしい人たちに会ってきた。
他人の目線に振り回されない自分だけの軸や哲学を持ち、好きなものや方向性が明確で、いつでも走りたくてウズウズしてて、きらきらした目で実際に狂ったように行動しているオトナたち。

いま思うと、中学や高校でこういう人たちとの接点があったらよかったなぁと強く思う。
「カイシャに就職」以外にも選択肢があるんだ。
こんな人たちでも死なずに生きていけるんだから、自分もやりたいことにチャレンジしてみようと、思えるんじゃないかと思う。



今日久しぶりに、5年前のインターン先に遊びに行って、きらきらした目をしたオトナたちと再会して思いました。

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